名もなき若者よ 夢ならここにある 「乃木坂アクトMOVIE 16人のプリンシパル」初日〜3回目までを観て

「16人のプリンシパル」は、乃木坂46が挑んだ初の舞台公演である。


・キャスティング参加型演劇
AKB48の公式ライバルグループという看板を掲げている乃木坂46の企画だけあって、「16人のプリンシパル」単なる演劇を披露するだけの場ではなかった。
公演は3幕構成となっており、それぞれ第1部が「オーディションパート」、第2部が「ミュージカルパート」、第3部が「ライブパート」となっている。
(映像公演である乃木坂アクトMOVIE」ではライブパートの上映は無し)
公演の設定としては、第2部で上演されるミュージカルに出演するためのオーディションに集まった少女たちが、第1部でオーディションを受けるというものになっている。
第1幕では参加メンバー全てが持ち時間1分間の自己PRをそれぞれ行い、それをもとに観客が「最も良かったメンバー」一人に投票し、その結果上位16名だけが次の「ミュージカルパート」に出演できるという、AKB総選挙の乃木坂版とも言える構成になっている。
ただ、AKB48の総選挙と異なる点は、「参加できる観客の上限が限られていること」と「観客は一人に一票しか入れられない」という点である。
この点がメンバーに、ある意味AKB総選挙以上かもしれない過酷さをもたらすのだが、それについては後述する。


・初日・2回目の公演を観て
初日の第1幕、いくつかのダンス審査(全体またはチームでダンスを披露する)をはさみつつ、メンバーの自己PRが行われた。
与えられた1分間で、特技を披露する者、自分について話す者と様々だった。
こういう企画の常だが、「用意して来たモノが上手くいかなかった」とか「話すことを忘れてしまった」といったトラブルがあったり、あるいは用意して来たものを緊張からか駆け足で終わらせてすぐ引っ込む者と様々だった。


就職面接などでよくあるが、実際「自己PRしてください」と言われて戸惑わない人はなかなか居ないと思う。
特技を披露すればいいのか? でも隣の人はそれよりすごい技を持っているかも知れない。
笑わせればいいのか? 素晴らしい話をすればいいのか? 一つの明確な評価基準があるわけではないので、何のためにどう頑張ったらいいのか分からない。
それでも最善を尽くし、より良い評価を得なければならない。
そういう状況に投げ込まれた彼女たちは、一体どう立ち向かえば良かったのか。
一体なにが正解だったのか。


初日は、乃木坂の中でも人気があり、フロントメンバーを務める「生田絵梨花」が1位に選ばれた。
もともとのメディア露出、フロントでの活躍、「歌いながら自己紹介」の奇抜さが奏功したものと思われる。
意外なところでは、デビューシングルからセンターを任されていた生駒里奈が7位、フロントではなかったが独特のキャラクターと喋り方でバラエティ人気のある高山一実白石麻衣橋本奈々未などの人気メンバーを抜いて2位に輝いたことなどがあった。
しかし、今まで選抜/非選抜や選抜内でのポジションといった、やや曖昧な格付けはされていたものの、「明確な順位付け」という事態に晒されたことの無かった乃木坂46のメンバーたちは、喜びよりも戸惑いをあらわにする者の方が多く、特に、上位の者ほどそうだったように見えた。


第2回目の公演は、初回と同日に行われた。
そのためか、自己PRを大きく変えて臨む者は少なく、結果についても上位16人の中での上下はあったが、1回目の出演者と入れ替わったのは、16人のうちわずか2名だけだった。
第2幕は乃木坂46の新曲やAKB48の曲を織り交ぜるなどして歌って踊る華々しい一幕だったが、「ミュージカル」と言いつつセリフはほとんど無く、誰もが知っている曲を何曲か続けて披露するパートだったので、ちょっと拍子抜けしてしまった。
その拍子抜けもあってか、舞台袖や裏で涙を飲んでその様子を眺める非選抜メンバーたちのことを想わずには居られなかった。


・3回目 本当の「プリンシパル」、始まる
3回目の公演は、初日から1日あけて行われた。
前2回とは打って変わって、自己PRの内容を変えてくるメンバーが多かった。
特に、前回まではプロフィール上の一番上に書かれているような「特技」、歌や踊りを披露するメンバーが多かったが、3回目はこれといったパフォーマンスをするわけではなく、スピーチを、それも悲壮感を漂わせる必死さを隠そうともしない者が多かった印象があった。また、感情的になる者が多く、涙を流す者も少なくなかった。これまでの公演の中では一番重たい空気の第1部だった。
涙の理由には、「PRが上手くいかなかった」「前の人のPRが素晴らしすぎて自信が無くなった」「選ばれないかもしれない不安」と様々あっただろうが、やはりこの3回目、初日を終えてからの2日間という時間が、彼女たちにこの「プリンシパル」という企画の残酷さを実感させるに十分だったのだろうと思われる。
また公演が行われなかった前日というのも、握手会があったからで、この時の「ファンとの交流」が、さらに現実を実感させるのに一役買っていたのだと思われる。

審査を委ねられた観客は「自己PR」の部分で判断する人が多いと思うが、彼女たちがこのプリンシパルの舞台でしなければならないことは自己PRだけではない。
全体の構成を覚えなければならないし、少ないがセリフもある。
開幕時、ダンス審査、自己PR、歌唱、休憩時間、それぞれのセクションで、それぞれの立ち位置を覚え、間違えないようにしなければならない。
誰の次に誰が動くとか、30人もいる他の出演者たちの動きもある程度把握していなければならない。
ダンスだってこの公演のために新しく設定された振り付けだ。
第3幕にはライブもやらなければならない。
さらには、第2幕のセリフやポジションは、誰がどの役を担当するか分からないので、全て覚えていなければならない。
たとえその役を一度も任される事が無かったとしても、である。


初日は、言ってみればこれら全てをやり切る事が第一で、彼女たちにとって自己PRの比重はそれほど大きくは無かったのだろう。
だが、初日を終えて初めて気付いたのだろう。
今日までの稽古で積み重ねてきたものが、たった1分の自己PRで吹き飛ばされてしまう事が。
そして、「アンダー」と呼ばれる、いわゆるシングル選抜から漏れたメンバーたちには、上位が選抜メンバーで占められているという現実は、より重くのしかかっていたことだろう。
これについては「座席の数しか用意されていない投票権」「一人に一票」というシステム上、避けられない事態であった。
AKB総選挙であれば、ファンの数やメディア露出が少なくとも、いわゆる「太ヲタ」と呼ばれる傾倒したメンバーへの投資をいとわないファンを引き込めば、多くの票を獲得する事ができる。
また、自分の票を配分できるので、一番好きなメンバーだけでなく、自分の中のランキングで二位以下のメンバーにも差をつけた上で票を分けることが可能だ。
だが「プリンシパル」は、誰かの二推し以下に甘んじていて舞台に立てるほど甘くはなかった。
実際に、私が観た公演の中でも、自己PRが観客に好評でありながら、出演につながっていないメンバーも何人かいた。
伊藤寧々のバク転は良かったと思ったし、川後の田舎トークも笑ったし、畠中の暗記チャレンジなんかは「分んなくなってつい答えを見てしまう」というお茶目な所さえ本人のキャラクターがよく出ていて面白かった。
好きな人には刺さっただろう。
しかしながら、「インパクト」では生田絵梨花が、「面白さ」では高山一実が票をさらっていった。
やはり平均的に多くの人にウケる(つまりは「実力」ということに他ならないわけだが)メンバーが圧倒的に強い。
そしてやはり上位に入るのは、人気のある=もともとのファンの数が多い=メディアの露出が多い=選抜されたメンバーがほとんどであり、アンダーの少女たちは、初めてこの時、一分間ではどうにもできない大きな壁が立ちはだかっていることを目の当たりにしたのだ。
順位を付けられるだけでない、アンダーとして悲しみや苦しみ、同じ境遇を分かち合った仲間と、16人という狭い門の下の方の、さらに狭い枠を奪い合わなければならない彼女たちの重圧はどれほどのものだったのか。
このとてつもなく残酷な現実を前にした戸惑い、焦り、不安、絶望感が、この日の涙の引き金になっていたのだと思う。


もちろん、上位選抜メンバーたちに全く重圧が無かったわけではない。
4回目からは、不動の一位だった生田絵梨花にもそれは降りかかる。
2位以下のメンバーとて油断ならない状況がひたすら続くのだ。
それらについてはガールズルールA盤特典映像DVDに収録ので割愛するが、こちらも非常に良いので是非観てもらいたい。


プリンシパルが遺したもの
プリンシパルのこの投票システムは、反発も多かったのか以後のプリンシパルでは採用されることは無かった。
しかしながら、きわめて強い、ドラスティックなドラマ発生装置として存分に機能していたことは間違いない。
「こんな残酷なショーをいたいけな少女たちに背負わせる必要があるのか」という批判もあるだろうが、残酷であるが故に、またその残酷さの一部に手を貸しているからこそ、観る者の心に深く突き刺さるのだ。
少女たちはここに生きていて、毎日歌や踊りのレッスンやファンとの交流に励み、私生活があり、未来とチャンスが待っている。
そういった背景を感じさせられる存在である生身のアイドルが、生の舞台でやらなければ意味が無いのだ。
そして、その同じ時間と空間で、少女たちの運命を委ねられた一票を手にしてみなければ得られないものがある。
いまここに生きているアイドルと、時間と空間と運命を共有することを最大限に利用したショーが、この「16人のプリンシパル」だったのだ。


・名もなき若者よ 夢ならここにある
第2幕のミュージカルは、選ばれた16人による乃木坂46の「左胸の勇気」を披露して幕となる。
少女たちの葛藤に一瞬だけ触れたあとだと、選ばれた16人だけでなく、努力する人、挑戦する人、頑張る人、全ての人たちを讃える歌に聴こえてくる。


その後、このとき困難の底で「どんな悲しみに出会っても 生きてればなんとかなる」と高らかに歌った少女たちの挑戦がどのように実を結んだのか。
それは、いま現在、「16人のプリンシパルtoris」を生き生きと楽しんでいる少女たちの姿が教えてくれている。
「未来はいつだって 新たなときめきと出会いの場」なのだと。