文化の日ということで

t-akata2009-11-05

この土日と祝日で初代マクロスを全話視聴しました。

まぁ、映画公開に向けてというのもあるにはあるんですが
ディープなオタ向け自己紹介の定番ネタとして「マクロスと同い年です」とか言ってきた割に
TVシリーズ本編は未見だったという
オタクにあるまじき行為を重ねてきた後ろめたさを一気に清算してやろうという意気込みもあったわけであります。

オタクと言えば、このマクロスは我々のようなコアなファンに対する
「おたく」という呼称を世に広めた作品だという説があります。
実際どうだったかは知りませんが
「うっかり一条輝になったつもりで『おたくは…』とか使いたくなってしまう」
くらいの気持ちにはなりましたので
当時の「おたく」の方々がこぞって使っていたというのは想像に難くないかと思います。

さて、いつものような高尚ぶった分析はひとまず置いておいて
ごくごく簡単に作品を観て思ったことを書き綴りたいと思います。
ま、散々語られつくした作品だろうしね。


まず、覚悟はしていたけど作画がひどかった…。
「時代だから」の一言では片付けられないバラツキが
かなりの頻度でフィルム上に残っておりました。
登場人物の顔が1カット毎に別人としか思えないような変貌を遂げていたり
通行人が画面の真ん中で消滅したり
バルキリーの色が違ってたり。
こんなものを目の当たりにしては、ゼントラーディでなくともデカルチャーってもんです。
まあもうその辺はいくら突っ込んでもしょうがないので
早々に目をつぶることにしました。
複雑なメカとかがたくさん出るのにバンクがほとんど無いとか
リアルロボットものの宿命がそういったフィルムを作りだすに至ったんだと解釈しつつ。

ストーリーに関する感想をざっとあげてみると
・序盤のグローバル艦長の行き当たりばったりぶりに…
・ミンメイむかつくなぁ 美紗の方が人間味があっていい
・柿崎―――!!!!
・やはりツンデレは強しか…
・後日談編の方が身につまされる気がする…。
この時代にこのテーマを扱って
一応最後まで描ききっている(?)というのはすげえと率直に思いました。

好きなキャラはゼントラのスパイ3人組。
ゼントラーディに「文化」を浸透させた功労者でありながら
終戦後の地球では特別な地位に就くことは無く
街のクリーニング屋で普通に働いていたという。
しかも、その後特に何の説明もなくクビにされ、
露店で寂しくオモチャを売っているという不遇のキャラたちだった。
何もそこまで人の世の世知辛さを背負わせなくても良かろうに。
立場的には、暴動を起こす同胞を説得するとか
そういう役割を持たせても良かったんじゃないかと思ったりしました。


そしてこのテレビ版を観た後に観る劇場版の圧倒的な迫力と言ったらもうね。
テレビ版との作画は比べるべくも無いですが
「劇場版機動戦士ガンダムから3年後のSF作品」として観ると
SFにおけるリアリティの追求が劇的に進んでいるのが観て取れて興味深い。
戦艦とか本当にデカそうだったし。

劇場版の輝はわりとハッキリしていて
テレビ版のように二人の間を流されるように行ったり来たりしないところは良く見えたんだけど、
それと尺の短さのせいでミンメイの方が
「一時的な感情に踊らされていた」感じになってしまっているようにも取れて
ちともったいない感じがしました。
歌うことの意味を自分で見出す過程が丁寧に描かれているのはテレビ版なのではないかと思いました。

とはいえ、
作画崩壊やメインキャストのつたない演技に耐え忍んできた心身には、
劇場版は相当なカタルシスを与えてくれます。
「これが俺たちが観たかったマクロスだ!!」と。

マクロスまだ観ていない皆さん。今から見るなら劇場版を観ましょう。
劇場版が気に入ったのなら、テレビ版は観ないことをお勧めします。
いろいろがっかりするから。
それでも私が味わったようなカタルシスを味わいたい方がいるなら
どうぞ最後まで観てやってください。