雑草という名前の草は無い「16人のプリンシパルtoris」


6/5・8回目公演
念願かなって16人のプリンシパルtorisも観に行くことができたのですが、書きたいことが山のようにあるのに、お芝居ではよくある公演アンケートが配布されなかったので、代わりにここに書かせていただきます。こちらは評論というより個人的な感想を中心に述べたいと思います。
初見なのと事前知識をあまり入れていなかったのと席が遠かったのと直前に鑑賞したパルコ公演の映像がとても良すぎたので、やや辛口評価となると思いますが、ご了承ください。


16人のプリンシパル(パルコ公演)とtorisの違い
キャスティング参加型演劇システムは、過去の教訓を受けて大幅に進化した。オーディションパートである第1幕では、メンバーは、第2幕で上演される劇の配役16のうち10の役の中から自分が演じたい役に立候補し、同じ役に立候補した者と短いコントを演じ、そこでの活躍が審査の対象となる。
そこで選ばれなくても、全体の集計の結果多くの票を集めた上位6名が敗者復活枠として残りの6役に選ばれる。
つまり、参加者の持つ票数は、役の分の10票、加えて最も面白かったメンバーを選ぶ「クィーンオブコント」の一票で合計11票が与えられる。
「クィーンオブコント」枠の票は、各役が同票の際の判断基準として用いられるのみで、終演後に発表されたりすることは特にない。


deuxからこのシステムを採用したことにより、今まで不遇だったメンバーにもチャンスの幅が広がった。
パルコの時はより多くの人にとっての「一位」を目指して他の29人と対決しなければならなかったが、今回は立候補したメンバーとだけ競えばいいし、「与えられた役を全うできるか」「立候補している役に相応しいか」といった明確な判断基準がある。
実際、パルコ公演の時は「一度も役に選ばれなかったメンバー」を何人か残す結果になってしまったが、この方式をとったdeuxでは、最終的にすべてのメンバーが一度は第2幕に立った。
メンバーが頑張るべき方向性が明確だし、全ての役が毎回入れ替わるので公演ごとに違った仕上がりを楽しめる、ファンにもメンバーにもやさしいシステムだ。


やさしさとはなんなんだろう?
だが、総合的に評すると、この優しいシステムが作り出す心の「ゆとり」が、出演者たちの緊張感をゆるめ、本来の「お芝居をやっている」という部分をもしかしたら軽んじさせてしまってはいなかっただろうか?
コントもお芝居であるという基本を忘れ、笑いを取りに行く方向にだけ走ってはいなかっただろうか?
「アイドルのショウなんだから、演技力がどうとかよりも推しメンが生き生きと活躍していればそれでいいだろ」という意見もあるだろうが、それではわざわざ演劇の公演という形でやる意義が無い。
ただファンが喜ぶだけ催しをやりたいなら、その分もっとたくさん握手会をやればいいだけの話だ。


第1幕 この子たちは一体何をやっているんだ?
第1幕は、第2幕での主人公「ポリン姫」のオーディションから順番に進んでいく。
この日ポリン姫に立候補したのは、伊藤万理華井上小百合衛藤美彩川村真洋の4人だった。
立候補したメンバーの人数に応じて、オーディションに使用されるコントの台本がくじ引きで決まる。
コント台本は十数種類用意されているが、メンバーはその台本を持ってコントを演じることができる。
メンバーは台本を手にしてから自分たちで話し合って配役を選ぶことができる。
選ばれたコントは「取り調べ」というタイトルだった。
さて始まってみてビックリした。
伊藤万理華が取り調べを受ける犯人役で、他の3人が尋問する担当者だというのは分かったのだが……彼女たちが何をしゃべっているのか、何を目的として話が進んでいるのかてんで分からないのだ!
これは私が2階席で初見だったからからというだけではないだろう。
みな「誰か」のモノマネをしていて、それで何を言っているかよく聞き取れないのだ。
さらにその元ネタのキャラクターを作ることに精いっぱいなのか、おそらくシチュエーションと人物の感情が全く一致していない(っぽい)ので、奇抜さのアピール大会になってしまっていてしかもこれが全く面白くないという、普通のお芝居やお笑いのライブだったら地獄絵図でしかないような有り様だった。
ファミ通クロスレビューなら6点で「ファンなら」と付け足されて終わるような内容だった。
私はあまり事前知識を入れていなかったので、台本に「○○のモノマネをしながら」という指定が入っていたのならそれもしょうがないのかなと思ったけども、そうでないのならこれはひどかったとしか評価できない。
「コント」というと笑いを起こすことが第一だと思われがちだが、根幹は「お芝居」であることは変わらない。
ただ面白くセリフを言ったり、面白く動いたりすればいいというわけではない。
役になりきり、共演者としっかりキャッチボールしていく中から空間そのものを作るのが「演じる」ということである。
それによって初めて「お芝居」になる。
欲を言えばここに「観客の反応をさぐりながら」も加わる。
その基本をすっ飛ばして上手くもないモノマネ大会を始められてしまっては、もう観ていられない。
演技力や技術のつたない劇を指して「学芸会」と言うのなら、これはその学芸会ですらないそれ以下の空間だった。
これを評価しろというのは酷な話だ。
長い日程で行われている劇団の公演とかでは、よく、「一度ウケてしまったネタで味をしめて、以後の回ではみんながどんどんそれをやり、最終的に進化しすぎて初見には理解不能」みたいな一種の局地的な「流行」が起きるケースがあるが、アレが吹き荒れていたのかもしれない。
ポリン役には、結構迷ったが、唯一犯人らしいキャラを演じていた伊藤万理華さんに投票した。
こんな調子で第1幕は終始モノマネ大会を見せられた感が強かった。
ただ、その中にあっても、秋元真夏白石麻衣高山一実松村沙友理といったバラエティでも活躍しているメンバーは、キャラクターだけでなくセリフのキャッチボールも達者で、ちゃんと場面として成立させようという姿勢で臨んでいるように見えた。
特に、生田絵梨花は、これと言ったキャラクターを足していたわけでもないのに、まるで最初からその役をずっと練習してきていたかのように役を自分のモノにしていて、かつ、その場面の空気を制していた。
これはなかなかできない事だ。
彼女のコントだけでも、全公演分観たいと思った。


「仲が良い」と「チームワーク」の間に横たわる大きな溝
アイドルグループの中でも「仲が良い」と定評のある乃木坂46だが、その「仲の良さ」が舞台の上ではほとんど何の役にも立っていなかったように感じる。
普段の仲の良さそれ自体は決して悪いことではないが、今回に関しては「舞台を面白く盛り上げる」(それ以前に「舞台を成立させる」)方向には働いていなかったと感じた。
メンバーがモノマネを始めてもそこに敢えて絡むようなメンバーは少なかったし、モノマネする方はする方でやりっぱなしだったりして、そこに「舞台を成り立たせる」という共同作業に取り組んでいるという感覚は共有されていなかったように感じた。
やったらやりっぱなしで、客に流してもらってたというのが率直な印象だった。
では舞台上で強みになる「仲の良さ」とは何か。
それは、内輪のネタで相手や客をいじることでも、一発芸を披露するメンバーに遠慮することでも、セリフが飛んだ共演者に耳打ちでセリフを伝えることでもない。
そういうイレギュラーも乗り越えてちゃんとしたワンシーンとして成り立たせられる「チームワーク」を発揮することだ。
今回はこれが「舞台を成り立たせる」方向に働いているかで言えば、Noだった。
「仲の良さ」が「守り」の方向に働いていたと感じた場面が非常に多かった。
残念な限りである。
前述もしたが、逆にそういった「芝居を成り立たせる」方向に意識の働いているメンバーの割合が多いコントは、安心して見られたし面白かった。


そんなこんなで公演を3回観て
6/5(8回目)、6/12(17回目)、6/13(18回目)、と観て来たわけだが、ここまでくると「モノマネお遊戯大会」を制して役をゲットする人の傾向が見えてくる。
まず、圧倒的な演技力でモノマネに頼ることなく、役になりきるどころかどの役を割り当てられても主役になってしまう生田絵梨花
モノマネに走らず正攻法で臨んでいる(ことが多い気がした)生駒里奈伊藤万理華衛藤美彩斎藤ちはる白石麻衣新内眞衣高山一実深川麻衣若月佑美らは、高い確率で役をゲットしているが、手堅い半面、生田絵梨花の前ではたちまち「名脇役」になってしまったり、突発的にモノマネがヒットしたり、イレギュラーが発生した時、そこに生まれた「流れ」に対応しきれず飲まれてしまう弱みを感じた。
対戦相手がモノマネでスベって自爆してくれることが多い今回の公演では、幸運に恵まれるケースも多かったのだと思う。
一方で、モノマネでコントを制している人物もいる。能條愛未がその最たるものだが、これは彼女に演技の地力があることや、モノマネそのものの完成度が高いこと、演じつつ、且つちゃんと自分の演技で場面を成立させていることが合格につながっている。
それとはまた別に、演技力でも技術でもない独特の武器でコントを制する者もいる。
橋本奈々未だ。
彼女の武器は、演技力や技術だけではない。
「存在感」だ。
周りがどんなメンバーであろうと、どんなシチュエーションであろうと、彼女のセリフ回し、絶妙な間の使い方が、彼女の存在を埋もれさせることはない。


ではこういった実力派たちを相手に、もともと演技が苦手なメンバーたちはどう立ち向かうべきだったのか?
結論から言えば、まず一か八かのモノマネや一発ギャグを披露するのは「全財産を宝くじに突っ込む」ようなハイリスクローリターンなギャンブルで、奇跡でも起こらない限りそれで勝つのは無理だ。
まぁ素人の集まりだからそういう奇跡が起きやすいというのは間違いないが……その無謀すぎるチャレンジ精神で軽々突破できるほど、乃木坂46の層は薄くない。
慣れない変化球で挑んでも、カンタンに打たれる上に肘を痛めるのは目に見えている。
逆説的だが、ここで優先すべきは「笑い」を取りに行くことではなく、しっかりと台本に書かれている物語の成立に努めることである。
なぜなら、台本にさえ従っていれば、自分でキャラクターを作るまでもなく面白い人物になれるし、自分でネタを入れなくても最初からネタが入ってるし、笑いを取りに行かなくてもお客さんを笑わせられるように書かれているのだ。
正直なところ、モノマネなんかやる前に、まずはそこに徹して欲しかった。
初見のときは、とにかくそこばかり気になったし、案の定モノマネをするメンバーの合格率は低かったし、とにかく「なんで演出家はモノマネをやめさせないんだ」と何度呪ったことだろう。
注意してやめさせないと、メンバーは恥をどんどん重ねるだけなのに……と。
先日(13日)の公演で言えば、斉藤優里が「13日の金曜日」という圧倒的な追い風が吹いていたにもかかわらず選ばれなかったのも、コントの最中に高山一実のモノマネに走ってしまったというのが小さくない要因としてあったと思う。
なぜ隣に高山一実が居るのに本人のモノマネに挑んでしまったのだろうか。
毎週月曜の3時間生放送FMラジオで君は何を学んでいたんだ。
台本通りにやっても勝手に外れて行ってしまう先の読めなさが斉藤優里の面白い所だし、深川と高山なら例えどうなってもきっとそれを拾って成立させてくれていただろうに。
公演では、こうした「モノマネブーム」が少なくないメンバーの自爆を誘発してた。


ただ、やはり第一幕での振る舞いに関しては、「メンバーの自主性」が尊重されている部分でもあるのだろうし、なにより役に選ばれていないという結果が彼女たちにとって壁として立ちはだかっていただろうから、そこは自分で気づいて自分で殻を破らなければならなかったのだろう。
そして、何も指導されていないであろうからこそ伝わってくる「選ばれない者の葛藤」や「試行錯誤の痕跡」が見えることが、この公演のもう一つの楽しみ方を生みだしている。
そしてさらにこの放任とも取れる体制は、時として我々にメンバーの「殻を破る瞬間」を目撃させてくれる。
同じく13日の公演での中元日芽香のコントがそうだった。
中元はこれまでの公演の中で、一度も自分が立候補した役に選ばれていなかった。
「激戦区」と言われる立候補者が多い役に挑むことが多かったし、少ない時でも絶対王者生田絵梨花と当たったりする不運ぶりだった。
しかしながら思い返せば、そういった不幸な偶然に見舞われながらも、決定打に欠けていたという自覚は彼女の中にもあったのではないだろうか。
この日キャサリン役に立候補したのは中元の他には斎藤ちはるただ一人。
激戦区は免れたが、斎藤は安定した演技で今回のプリンシパルで頭角を現してきた手ごわい相手だ。
選ばれたコントは「タクシー」。
ボケ役の運転手を取れば笑いは取りやすいが、ツッコミ役の客となってテンポを操れれば、それはすなわちコントを制する事になる。
話し合いの末、運転手役になった中元は、一体どのようにこの役に挑んだのか。
台本通りのキャラか? あるいはモノマネか?
いや、なんと中元は、乃木坂46の妹系アイドル「ひめたん」本人として運転席についたのである!
なんということだ。
台本ではオッサンが運転するはずだったタクシーが、コント開始と同時に「ひめたんタクシー」になってしまったではないか!
当たり前の話なのだが、タクシーを運転する中元は何もかも「ひめたん」だった。
終始一貫して「ひめたん」だった。
さすがの斎藤ちはるも彼女の勢いに押されるままだった。
これは一見すると誰かのモノマネをするよりも簡単なキャラ付けの戦略にも感じられるが、カンペキな台本で何度も稽古して来たんじゃないかと思えるほどのブレの無さには、逆に鬼気迫るものすらあった。
思うに――これまでずっと激戦区で涙を飲んできたところに舞い込んできた一騎打ち。しかしながら相手は手ごわい――そんな壁を前にして、彼女の覚悟が固まったのだろう。
中元は「ひめたん」を演じ抜いた。
この日、一番輝いていたのは間違いなく「ひめたん」だった。
この日限りのまぐれ当たりだったかも知れないが、この時中元が自ら「ひめたん」を演じたことは、きっとこれからの彼女の中で大きな糧として残り続けるだろう。
こういうブレイクスルーに出会えるかも知れないので、プリンシパルはやめられない。


比較的苦戦を強いられているっぽい畠中清羅川後陽菜大和里菜あたりにも、残りの公演でその瞬間が訪れるのかも知れない。
そう思うと、チケットが取れなかったことが悔しい。
特に、ルイーダ役に何度も挑み続けては敗れている星野みなみなんかは、もうそろそろ来てもいい頃ではないだろうか。
彼女自身は冷酷無比な女王とは似ても似つかないキャラクターだが、そのギャップゆえにハマる気がするし、単純に見てみたい。
なにより、一見、全く執着心の無さそうな星野が、敗れても敗れても挑み続けているというのが興味深い。
普通ならどこかで折れそうだし、実際に松井玲奈と一幕で当たった時は、コントの途中で負けを確信してしまったのか終盤から崩れてしまっていたようにも見えた。
だが二幕ではそのなかなか選ばれないことを「私このセリフ五回目だし」と自虐ネタに変える逞しさを見せていた。
彼女もまた成長している。
私も初見の時は「この役に星野は向いてないだろ」と思ったが、改めて想像してみると、「ルイーダ役を演じる星野」ほどあの芝居の中で立つキャラクターは他に無いようにすら思えてくる。
もしかしたら星野には、役の呼ぶ声が聞こえているのかもしれない。
買いかぶりすぎか?
あと、二期生の中では山粼怜奈という研究生に素質を感じた。
乃木どこ初登場回で「独裁者」の演説シーンを再現してバナナマンを圧倒していたのは伊達じゃなかった。
先輩に対する遠慮を無くし、セリフが平坦になりがちな所を克服できれば、来年のプリンシパルでは大活躍しているだろう。


ともかくも、なかなか全部が全部楽しめるとは言い難く、それなりに推しが多かったり箱推しだったり、全メンバーのこれまでの頑張りをブログや公演記録などで把握してないと、初見一回限りの観覧では楽しみにくい公演ではあるけど、生田絵梨花をはじめとした実力派の演技は生で見る価値があるし、思わぬところで笑いが起きるし、回数を重ねるごとにメンバーが成長しているのがハッキリわかるし、今まで知らなかったメンバーの魅力を発見できるし、少しでも乃木坂46に興味があるなら観に行って参加するべきでしょう。
あとは、全部とは言わないけど映像ソフト化して欲しいですよろしくおねがいします。