さよなら 絶望 ガンダム

t-akata2009-11-20

断続ブログ小説「さよなら絶望ガンダム

※この物語はフィクションです。登場する人物、名称、団体名などは、すべて架空のものです。
※この文章は、「暗闇心中相思相愛(歌:神谷浩史)」を聞きながら書かれました。

参考文献:富嶽百景(太宰治)




さよなら絶望ガンダム



眼前に聳え立つ白ひ巨人を前にして、私はたゞゝゞ驚きの感情を覺へるしかなかつた。
その驚きは、巨大な人型の存在に對してではなゐ。それと對峙してなほ動かなゐ己の胸の内に對しての驚きだつた。


夏も終はりにさしかゝつた頃、ふと「さう言へば、まだお臺場に往つてゐなかつたな」と思ひ起こした。弐〇〇九年現在、ガンダム参拾周年の紀念イヴヱントとして、お臺場に全高拾八米、劇中設定そのまゝのガンダム立像が建てられてゐるのだ。自他共に認めるガンダム家の私にしてみれば、實物大のガンダムが見られるとあつては、ゆかないわけにはゆかないだらう。今月いつぱいの展示だといふ話であつたので、「ゆかねば、ゆかねば」と思つてはゐたものゝ、なかなか所澤の自宅から重い腰が上がらずにゐたのだが、近くに往く用向きが出來たので、良い機會だとして見物に往くことにした。
今にして思へば、自他共に認められてゐるはずの私が、なにゆゑ公開されたその日に行かなかつたのだらうか。別の用事にくつゝけて「ついで」のやうに訪れるなどといふことは、はたしてガンダム家を自負する者の取るべき態度だつたのだらうか。そこに隱された眞なる答へは、會場に辿り著くまで、つひに見出されることは無かつた。
夏の長い日もやうやく傾いた夕暮れの頃、潮の香りを褚りに、人波に乘せられて運ばれた先に、それはあつた。
䖝の木々に圍まれ、人の波のまにまに兩の足をおろし、遠方には幾何學的なビルを望む。
いつたいこゝはどこなのだ。
まるで觀光地でないか。
眞ん中に立つあれは、鎌倉の大佛樣か? 上野動物園の大熊猫か?
人々は、立像を仰ぎ見ては「おゝ」だの「いやあ」だの間の拔けた聲をあげてゐる。
實に俗である。俗といふ以外に言ひあらはしやうのないさまである。
そのさまを目の當たりにするにつけ、私の胸の中を乾いた風が吹き拔けてゆくのを感じてゐた。
思へば、ガンダムといふものに出會つてはや弐拾年。誕生當初の盛り上がりとはまた別の、SDといふキヤラクタアによる黄金の時代を過ごした私は、そこからの如實な凋落ぶりもまた味はつてきた者である。數々あつたはずのシリイズは終はり、テレビでの放映も無くなり、雜誌上で細々と續いてゐるだけになつたガンダムを、それでも、とプラモデルを買つて支へてゐたつもりでゐた。
そのころ、次にどのやうな廣がりを期待してゐたのかはもう思ひ出せないが、少なくともこんな見世物を作つてほしひなどとは思つてゐなかつた。私にとつてのガンダムは、繁室のはぢつこでボソボソと語られるべきものであり、このやうな大衆の面前に、何の臆面もなく堂々と晒されるなどといふことは、まつたくもつて逆の扱ひであり、戸惑ひを隱しきれないのだ。
隣の若い男女など、「シヤアはどこに乘つてゐるの?」「あの顏の中だらう」などといふやりとりをしてゐる。私はもどかしさと憤りで、その場で赤面するしかなかつた。
さうだつた、私は、この現實を目の當たりにするのを、内心に恐れてゐたのだ。
こゝに溢れる人々は、お前を見物に來た者だらう。だが、この中のどれほどが、これからもお前を愛し續ける者だといふのだ。それなのに、かやうな低俗の底邊の、薄暗い泥の溜まりに、私を押し込めやうとするのか。そのうへ「何だその小ぎたない身なりは。そんな恰好で來るやうな場所ではないぞ。」「紙袋の口からをなごの描かれた箱が見えてゐるぞ」「背中の筒はビイムサアベルのつもりか?」などと嗤ふのだ。
「お前からは大して金をしぼり取れなかつたな。」さう言はれて私は捨てられたのだと思つた。叫び聲をあげて走り出したい氣分でいつぱいになり、そのまゝ人の波に身を任せて海を目指した。
拾五年後、こゝに立つものがあるとしたら、ヱヴアンゲリヲンなのだらうか。
そのさらに拾伍年後、こゝに立つものは何であらうか。


自分が思ふよりよほど疲れてゐたのであらう。歸りの山手線で、私は何度も寢過ごし寢過ごしした。
どれほどの時間を過ごしたのかわからない。
まつたく、有意義な休日の使ひ方をしたものである。