劇場版 東のエデンI

t-akata2010-02-07


さて、引き続き5本観た映画のうちアニメ作品2本をご紹介。
スタイリッシュなドラマ性重視で、比較的広範囲な層をターゲットとした「東のエデン」と
完全にコアなターゲットに的を絞った熱血魔法バトルアクション映画「リリカルなのは」という、
対極的な2本から、劇場版アニメについて思ったことを述べてみましょうか。



東のエデンI
09年4月〜6月、フジテレビ「ノイタミナ」枠にて放映され、人気を博したオリジナル作品の劇場版。TV版の最終回からの続きとなっており、TV版の視聴を前提としている。

ストーリーについては、まぁ、「前後編の前編だし」と言ったところでしょうか。
つまんないわけじゃないんですよ?
ただ「これからだ!」ってところで当然「?に続く」だから。

見どころはあります。
「この国の王様になる」という依頼がどのように実行されて行くのかとか、
再び動き出すセレソンゲーム、新しいセレソン、脱落するセレソン
ジュイスの所在、感情的になってみたりとかいろいろな一面を見せるジュイス
そして3度目のミサイルテロ。
ジョニーハンターこと我らが黒羽社長も大いに活躍してくれます。

そんな「東のエデン」ですが、個人的に作画面で気になったことがあったので、こちらについて書いておきたいと思います。
まぁ、コアなアニメオタクが作品のアラ探しをするようなものなので、東のエデンのドラマが好きな人はさらりと読み飛ばして下さい。

まず気になったのが、CGがあんまり画面と調和していなかったこと。
アニメにおけるデジタルワークスが普及して久しいが、それでも作画とCG、とりわけ3DCGとの融合は、なかなか正解を導き出せていない観が否めない。
マクロスFバルキリーように「画面の主役」となるキャラクターや、RIDE BACKのようなメインメカニックに適用される場合は、「主役メカだから」「SFメカだから」とある程度納得して観られるようにはなった(観る側の「慣れ」と作る側の「技術の向上」の両方があっての話)。
「新ヱヴァ:破」のように、作画に非常に近付けて処理するのもまた(手間と時間とお金はかかるけど)一つの方法だ。
あるいはポニョのように全部作画してしまうとか。
アニメ製作者のみなさんが3DCG表現について腐心しているさなか、プロダクションI.G.が提示する3DCGへの「態度」が本作の画面だと思うと、ちょっと疑問を抱かざるを得ない。
平たく言うと「え!? それでいいの?」という感想。

そもそも、東のエデンの画面における魅力は「羽海野チカによるキャラクター」が「現実によく似たリアルな世界観」の中で動くことにあったはずだ。可愛らしくアニメ的にデフォルメされたキャラクターが手の届きそうな日常の延長を駆け抜ける。「キャラクター」で目を引かせ、「リアルな世界観とストーリー」でぐいぐい引っ張り込むというのがひとつの作法だったように思っていたのだが、それがスクリーンサイズになったからだろうか、アニメチックな「キャラ」でもない、リアルに描き込まれた「背景美術」でもない、第3の存在「CGの自動車」が必要以上に主張しているように見えて仕方がないのだ。
断わっておくが、私は「手塗りセル画万歳!」の回顧主義者ではない。そういう時代に育った世代ではあるが、アナログだろうがデジタルだろうが、一つのシーンの中で効果的に使用されていれば、それでいいという立場だ。つまり、本作のCGに関しては「効果的じゃねーよ」と言いたいわけである。
ではなぜ私はCGの自動車が気になったのか?
アニメの画面というのは、大半のシーンが画面の中で動く「キャラ」と(ほとんど)動かない「背景」から成っている。背景は通常、特に劇場作品ともなれば、細部まで描き込まれた密度の高い絵が使われる。ここには膨大な量の情報が詰め込まれている。対してその手前に置かれる「キャラ」は、そのキャラと判別できる最低限の情報を与えられた線と色の組み合わせに過ぎず、「背景」とは比較にならないほど情報量が少ない。それでも我々がキャラをシーンの「主役」と認識できるのは「キャラ」が「動く」からからに他ならない。フィルムの1コマ上では圧倒的な差のある両者の情報量は、時間というファクターが与えられることにより逆転する。刻々と変化する「キャラ」に対し、観る者は注意を引かれ、その変化を追いかけることによって、場面ごとの主役が何なのか認識するわけだが、本作の画面の中には「キャラ」でも「背景」でもない、第三の存在「CGの自動車」が居る。
本来ならば「背景」に含まれるはずの「CGの自動車」が、なぜ存在感を持ってしまっているのか。本作におけるCGの自動車は、質感やシェーディング、ライティングに関しては「一枚絵ならば」気にならないレベルのCGだが、それが画面の中で「動いてしまっている」。
CGモデリングされたオブジェクトが「動く」というのは、アニメキャラが「動く」のとは異なる形でフィルムに残される。
例えば、キャラが一秒の間で正面から右向きに向きを変える場合、この一秒間に割り当てられる絵の枚数は、24コマ中、せいぜい8枚だ。対してCGは、24コマすべてに異なる絵を充てることになる。それも、「向き」だけでなく「影」などの情報もすべて与えられて、である。
この二者が同じ画面内に存在するとどうなるか。本来「背景」であるはずのものが「キャラ」よりも「情報量」を持ってしまい、観る者がどちらに注目するべきか、一瞬の混乱が生じ、それが画面全体への「違和感」につながってしまう。それがTVならば大して気にならなかったかもしれないが(私はいつも気にしています)、劇場の大スクリーンでは、視界の端にチラチラ入り込んできて鬱陶しい。鬱陶しいなぁ。

とまぁ、取るに足らないものだろうとは思いますが、コアなアニメオタクの評価を下げる要因とは成り得るということです。
他にも、咲を見下ろしていたカメラがズームアウトしていくカットで、「なぜ作画で引かないんだ!」と、一人憤ったりしていました。
「そんな所にまでこだわらねーよ」というのがプロダクションIGのスタンスならいいんですが、「監督はそれでいいのか?」とも思うわけです。
うーん。
こんなところに原因を求めたくないけど、時間とお金が少しばかり足りなかったんじゃなかろうか。
いや別に決して安っぽいアニメではありませんので、
「コアなアニオタ」でない人なら問題無く楽しめます。
ぜひ劇場でご覧になってください。

プロダクションIGには「東のエデン?」の製作(制作?)も頑張っていただきたい。
あと「君に届け」も頑張っていただきたい。
ここ数話で「くるみ」が急激に好きになりました。別マ編集長に「今月号の見どころ」とか言って軽くネタバレされてショックです。
俺の新鮮なときめきを返してくれ。



さて、冒頭で「2本紹介」とか言ってましたが、自分でも想定していなかったボリュームになってしまったので、「NANOHA」についてはまた次回です。



「リピート商法上等!」で大絶賛する予定なの!