ゼロ年代萌えキャラ文化の総決算としての「バカとテストと召喚獣」

t-akata2010-02-26

バカとテストと召喚獣」は個性的なキャラクターたちがおりなすドタバタ学園ラブコメ作品である。
作劇法や演出、原作再現アニメが注目を集める昨今にあって、この使いつくされたフォーマット上で、絵に描いたような「バカ」や「ツンデレ」といった属性の塊のようなキャラたちが、その属性の本来の魅力を最大限に引き出してぶつかり合い、絶妙なラブコメを展開している様は、ゼロ年代後半のアニメの風潮からすれば、稀なことではなかろうか。
宇宙人も未来人も超能力者も出てこないし、メカも永遠の世界も「突然同居することになった血のつながらない妹」も出てこない。
「試験召喚獣システム」という独自の設定を与えられてはいるものの、それがストーリーの軸として機能するのはほんの序盤ぐらいで、そこから先は話の中心になることは少なくなる。


大まかな設定としては、主人公たちの通う学校は徹底したクラス編成システムが導入されていて、試験の成績に応じてA〜Fまでのクラスに分けられる。
クラス間の待遇の差はとてつもなく大きく、最下級のFクラスともなれば、目も当てられないような設備しか与えられない。しかしその格差は、学園独自のシステム「試験召喚戦争」によって、逆転するチャンスが与えられている。
生徒は、教師が認めた場合に限り、自分の分身である「召喚獣」を召喚し、他の生徒の召喚獣と戦わせることができる。
この召喚獣は、生徒が試験で獲得した成績に応じた強さを与えられている。
すなわち、上位のクラスほど、総合的な召喚獣のパラメータが高いということになる。
だからといって下位のクラスが不利かというとそうでもなく、「試験召喚戦争」でのルール設定や教科の選択により、戦略をめぐらせれば逆転を狙うこともできる。


まぁ、この辺の設定は、第2話まででかなり使い尽くされて、それ以降は場面の中で「手っ取り早くキャラを退場させるシステム」として機能している感が強い。


そんな中で活躍する「主人公」吉井明久は、Fクラスに実力で編入させられた正真正銘の「バカ」である。
バカだが底抜けに明るい性格で、ヒロインの水着姿に鼻血を噴く、きわめて「健全な男子高校生」である。ちなみに家族は長期不在中で「実家で一人暮らし」を満喫している。


本作の「1人目のヒロイン」姫路瑞希は、本来ならば「Aクラス級の学力」を持つ生徒だが、試験の際、体調不良による途中退出が試験放棄とみなされFクラスに編入されてしまう。
「この娘にもっといい設備を」というのが、明久に試験召喚戦争を仕掛けさせる原動力となる。
ちなみに「病弱」という設定というわけではないようである。
「容姿端麗」「成績優秀」「品行方正」「天然」「巨乳」「料理×」「ウサギの髪飾りの表情が感情に連動する」「髪色はピンク」など、ラブコメヒロイン要素てんこ盛りキャラである。


「二人目のヒロイン」島田美波。
「ドイツからの帰国子女」であるため、日本語の試験問題が読めずFクラスに編入となった。
問題に日本語が少ない数学の成績は高く、数学だけならBクラス級である。
明久のボケに対してプロレス技で突っ込む「凶暴」な女子だが、「料理が得意」という家庭的な一面も持っている。
ツンデレ」「ツリ目」「ポニテ」「貧乳」「女子から人気」「妹アリ」。


 明久の「悪友」坂本雄二。
Fクラスでありながら、頭の回転がよく、試験召喚戦争の際には、Fクラスのまとめ役となった。
後述の霧島翔子とは「幼馴染み」であり、不幸を呼び込む元凶ともなっている。


その他、「保健体育だけはAクラス」手にしたカメラで女子の決定的瞬間を逃さない「ムッツリーニ」こと土屋康太、「しなをつくれば明久も鼻血もの」の「可憐すぎる男子」木下秀吉、「黒髪の静かなるクーデレ(ヤンデレ)」霧島翔子、明久を「バカなお兄ちゃん」と呼ぶ「しましまニーハイ」「ツインテ」「妹」の島田葉月。
などなど、これでもかと「属性」を詰め込んだキャラクターたちがひしめき合うにも関わらず、絶妙なラブコメ展開を成立させている。


ブコメの主軸となるのは明久と瑞希、美波の三角関係だが、その明久を屈託なく「お兄ちゃん」と呼ぶ葉月が入り込み、他の二人に「揺さぶり」をかけたり、美波を「お姉様」と呼んで慕う「百合キャラ」清水美春や、明久に心ときめかせる久保利光が加わることにより、3人の関係はさらに面白ややこしく盛り上がる。
 

属性属性と強調してきたように、本作でキャラクターについて語るとき、そのキャラの属性を上回る個性を出すような背景は設定されていない(第8話まで視聴した限りでは)。
例えば、「幼いころのトラウマが原因で」とか「実はこいつは××だった」といったような個人のストーリーは背負わされていない。
過去とか家族だとか、そういったキャラクター形成の下地となり得るような要素は、島田美波と葉月の「姉妹」、木下秀吉と優子の「双子の姉弟」、坂本雄二と霧島翔子の「幼馴染み」といった属性に関わるもの以外は、最大限に排除されている。「親」に至っては登場すらしない。
主人公の明久にしても「実家で一人暮らし」という設定はそういう観点から見ると「ギャルゲの主人公的」というよりも、「家庭」という要素を排除するためとも受け取れる。


本作は、一見すると「お前らの好きそうなキャラを集めてラブコメやるぞ!」というある種媚びた印象を受けがちだが、このキャラたちは「好きそうな」=「属性」によってのみ作られ、それ以外の要素を一切排除された存在であり、「学園」という閉鎖された実験場の中で「どれだけ面白いラブコメが描けるか」という点に徹底的に注力された作品であり、安易な萌え要素をかき集めただけの作品とは趣を異にする作品である。


ツンデレ」「天然」「妹」「百合」「クーデレ」といった、これまでのオタク文化の中で培われてきた萌え要素だけを、徹底的な管理の下で純粋培養した「萌えの箱庭アニメ」。
それが「バカとテストと召喚獣」である。


なんというか、「セカイ系」だとか「ハルヒ」だとか「ヤンデレ」だとか「西尾維新」だとか言ってみたところで、結局はそいつらの「萌え要素」というエッセンスだけを抽出してごった煮にしたラブコメが見たいっていうことなんだろうな。
これは別にそういう作品群が悪いというわけではなく、それらの作品が意欲的に開拓したり構築した成果が「ごった煮ラブコメ」に反映され、そこからまた違ったベクトルを求めて、作り手もオタクも試行錯誤を繰り返せるという、相補的な関係が上手く働いているのだと言える。
 テーマ性や芸術性を追求した作品が見たければ、バカテスは無理に勧めるような作品ではないが、そういった作品たちが、後のオタク文化の中でどのように受け止められ、咀嚼されているのかを知る上では、一つの道標となりうるだろう。


その他、個人的な観どころとしては、監督:大沼心が手掛けるオープニングや、加藤英美里による一人二役芝居。本編のラブコメ展開では特に「通学中に曲がり角ではち合わせる明久と利光」の下りが最高に面白かったです。


ともかくも、’10年代萌えラブコメのスタンダードとなるであろう「バカとテストと召喚獣」。


私は、声を大にして言いたい。
「これこそが俺たちが観たかったラブコメだ!!」と。


そしてもっと声を大にして言いたい。
「でも胸は作画で揺らしてくれ!!!」と。