劇場版「イヴの時間」

t-akata2010-04-04

人間と寸分たがわぬ容姿を持ったアンドロイドが人々の生活に深くかかわってきている時代の物語。
この時代のアンドロイドは、一般家電として家庭にも普及しており、人間の支持を理解し、実行することができるまでになっている。
アンドロイドが人間の代わりに様々な仕事を担うようになってゆく反面、それを快く思わない「倫理委員会」のような人々が、ネガティブキャンペーンを展開している。
そんな、ちょっとだけ未来の世界に生きる高校生「リクオ」が、友人の「マサキ」とひょんなことから訪れた喫茶店イヴの時間」。「この店では人間とロボットを区別しません」という変わったルールを持つ店で、リクオたちは様々な人やアンドロイドと出逢う。


ネット配信されていた同名の短編アニメ(15分×全6話)を1本にまとめ、新作カットなどを追加した劇場作品。ネット版の個々のエピソードはほぼそのままに、ネット版ではあまり語られなかった「ナギ」に関するシーンを断片的に挿入して、「イヴの時間」の謎についてのヒントを残している。


イヴの時間」の世界設定を観たとき、「俺みたいな人間には、何と生きにくい世界なんだろう」と思った。
アンドロイドは人間の姿をしていながらも、ただの家電として扱われ、少しでも人間のような扱いをすれば「ドリ系(アンドロイド依存症)」のレッテルを貼られてしまう。
「ただの家電だと思っていたアンドロイドにも実は心や感情があった。でも普段はそれを閉じ込めて働いている。それを知った上で君はどうする?」というのが、この作品の根っこに流れるテーマだと思う。
それを表現するために敷かれた世界設定は、ロボットとの友情や愛情を育む物語に慣れ親しんで育った者としては、ちょっと自虐的すぎるんじゃないかとも思えてならない。
雨の日に、学校に傘を届けに来てくれたアンドロイドに対して「ありがとう」と言ったら、周囲から「なに今の!?ドリ系っぽーい!!」と言われる。そんな殺伐とした世界は果たしてこの現実の延長線上にあり得ることなのだろうかと思ってしまう。
人間はもっと、人間に近い形のものを大事に扱うはずだ。
しかしそう思う反面、「不気味の谷(注)」理論から考えれば、むしろ嫌悪の対象となってしまうのも、理系としては納得がいってしまう。
そういった葛藤を生じさせること自体がこの作品の狙っているところなのだろうけど。


リクオたちは、「アンドロイドにも心がある」ということをいきなり突き付けられ戸惑いながらも徐々に受け容れて行こうとする。そこに至る心の移り変わりを追えるという点でも改めて通して観る価値はあるかと思います。
初見の方にももちろんおススメ。


注)不気味の谷:人間は、人間に近い形状を持ったものに対して好意的な感情を抱く心理的特性を持っている。形状が人間に近付けば近付くほど、その好意的感情も高くなるが、ある点を境にその値が逆転し、生理的嫌悪感となる。この「好意的感情」が急落する領域を「不気味の谷」と呼んでいる。人間に近い形をしている人形は「好き」と感じるが、あまりにも人間に近すぎると逆に「不気味」「怖い」と感じてしまうという心理。「見た目は限りなく人間に近いが、人間ではない異質なもの」に対して恐怖を覚えること(ゾンビやJホラーの幽霊などが該当すると思われる)を指す。