劇場版東のエデンII

劇場版「東のエデンII」

東のエデンとは何だったのか。


国家として行き詰まった日本を変えるため、自由に使える100億の金とそれを実行可能にするためのコンシェルジュを託された11人。
選ばれた彼ら(セレソン)はそれぞれの信念に基づき、日本を変えるべく行動する。
セレソン達は互いの利害関係によって協力したり、対立しあったりしながら、「日本を変える」というプランを実行してゆく。


主人公「滝沢朗」は、近年では珍しい、機知と行動力に富んだヒロイックなキャラクターだ。
超人的な能力などのファンタジー設定を持たされず、ただの人間としてここまで魅力的に描き切られた主人公は、なかなかお目にかかれないと思う。
他のセレソンに妨害されても、信じた仲間に裏切られても、記憶を消しても、それでも彼を動かすものは何なのか?
何が彼を作ったのか?


滝沢朗の生い立ちについては、本作の中で明らかになる。
TVシリーズから引っ張ってきた謎なので、そちらも関心の高いところではあるだろうが、それ自体はあまり物語の結末には関係ない。
私が全編通して感じたことは「やっぱり、今の日本を舞台にして、それを『変える!』なんてテーマをブチ上げたりしたら、着陸させるだけでも簡単じゃないよな…。」ということ。


(以下、ややネタバレ有り)
滝沢朗から全国に発せられたメッセージ「日本は変わる。変えられるのは皆さん一人ひとりの力です。」的なセリフが、この物語全体のメッセージというか、現実にも一致する「正論」だろう。
だが、これを正面から唱えるだけでは誰にも響かない。
他のセレソン達は、そんな不確定で遠回りな方法は選ばなかった。
ある者は国家というシステムを組み変えようと暗躍し、ある者はシステムそのものを物理的に破壊しようと試みた。
そんな中、人々の「意識」を変えようという選択をしたのが滝沢朗だ。だがそれは、ミサイルを発射するほど単純にはいかない。
人々の意識に自分の声を届けるためには、扇動できるだけの存在にならなければならない。
そのための「貧乏くじ」をあえて引いてやろうと決意したところが、滝沢朗の凄いところだろう。そして、そんな選択に微塵の悲壮感も持たされていないところも。
それでも彼は信じていた。
歴史に名を残した英雄たちがいた一方で、名もなき多くの人々が、絶え間なく働き、生活を営み続けてきたこと。
そんな名もなき多くの人々こそが、国家や社会を作ってきたことを。
だからそれを変えることも、彼らの手で実現できるはずなのだと。


だが一方で作品全体を俯瞰して観ると、
「たしかに日本は行き詰まっているけど、滝沢朗みたいな人間がいて、そんな人物に相応の力を与えないと変わらないかも知れない。」というどこか諦めの念も感じる。
まぁ、この辺はそれを受け取った人が個々で回答を考えればいいと思う。


完結編ということで、TVシリーズからの視聴が前提ですが、何でも出来ちゃいそうなヒーロー、滝沢朗の胸のすくような大活躍が楽しめる劇場版東のエデンII。
近年のオリジナルものとしては、高いクオリティと「ちゃんと完結した」という点においても見どころのある1作です。


にほんブログ村 アニメブログ アニメ考察へ
↑読み終わったら押す