映画「涼宮ハルヒの消失」を批判的に批評する

t-akata2010-03-22

この3連休は、マクロス7を20話くらい一気に観て「イヴの時間」「プリキュアオールスターズDX2」「涼宮ハルヒの消失」「東のエデン?」とアニメ漬けな日々を…というかこれは土夜〜日曜日だけの話でした。
なんだかアニメ映画祭(自主開催)は月イチペースな感じですが、来月は改編だし、やらないかもしれません。


前回5本観た時は順番に紹介しましたが、今回は言いたいことがまとまった順でお送りします。できれば…今週中に…全部…。


涼宮ハルヒの消失
大ヒットライトノベルシリーズ「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの同名原作からの映画化作品。
有名すぎるので詳しい作品紹介は割愛させていただきます。


「非難轟々だったエンドレスエイトを挽回できるか」という点でも注目されていた本作ですが、映画の感想をネットで検索してみると、絶賛しているブロガーばかりで正直気持ち悪い。
そんなに良かったのか?
それとも「良くなかった」と思った人には「ブログで書くにも値しないほど良くなかった」ということで、評価が二極化してしまっているのだろうか?
まぁ、これについては多少推測を働かせることができる。映画の内容自体、原作やTVアニメを視聴していることが前提だし、件の「エンドレスエイト」でも離れず、「金を払ってでも観る」ファンが大半だからだろう。
それでも、あの「京アニ」が作る「ハルヒ」の「劇場版」なのだから、ファンならずともチェックした上で、アニメ映画界の潮流を肌で感じ取るくらいのことは、もっと積極的になされていてもいいと思えてならない。
そんなハルヒを取り巻く情勢に一石を投じてみようと、批判的立場から感想を述べたいと思った次第です。ま、単に素直な感想を綴るだけのつもりです。「長門厨が自分のブログで絶賛しているだけの映画」と片づけてしまうには惜しい材料だと思うので。


まず、率直な感想としては「ハルヒシリーズのファンなら楽しめる映画」「長門のファンなら必見の映画」だなと思いました。
要するにファンにとっては満足できるが、それ以上のものは無いと言ったところでしょうか。
前述の通り、最低でもTVシリーズの視聴が前提とされているため、仕方の無いことなのだろうけど、せっかく映画にするんだから、ちゃんと1本の作品、エンターテイメントとして成立させた上で、TVシリーズ未見の人にも「見てみようかな」と思わせるだけのものにして欲しかった。
「原作を忠実に再現する」ことにウェイトを置き過ぎている感がかなり強い。
そのコンセプトを貫くにあたり、かなりの労力を要することは多少理解しているつもりだが、それはそれで芸が無いんじゃないかと思ってしまう。
2時間40分という上映時間を設定することは、大変な決断だったのだろうけど、逆にそれはクリエイターとしてどうなのだろうか。
2時間なら2時間と、限られた時間の中で原作の持つエッセンスを最大限抽出して効果的にまとめ上げることも、クリエイターの腕の見せどころのはずなのだ。
いや、それ以前に、観客が集中していられる時間内でどれだけ効果的な表現ができるかという計算も成されていなければならないはずだ。
確かに、時間的制約がかなり緩まっているおかげで、個々のシーンやカットはとてもクオリティが高く、高いレベルの仕上がりにはなっているものの、それゆえにメリハリが保てておらず、見る側の負担が多くなってしまっているのが残念だ。
いくら声優に演技力あったとしても、キョンの語りばかり聞かされていれば、どうしても集中が切れてしまうものだろう。
そういう意味では、「エンドレスエイト」といい、どうも京アニは「原作再現」だとか技術面偏重な印象を受ける。もう少し、完成したものを客観視したり、「TVシリーズ」や「映画」といった媒体の貴重さを認識した人間が必要なんじゃないかと思う。ともすると「京アニ」のブランド名や「ハルヒ」の作品人気の上にあぐらをかいているようにも取れるので。


(ここから本編感想:ネタバレあり)
長門ファンにはたまらない」という評価には間違いないが、「長門ファンでない人も長門が好きになる」というのは過大評価だと思う。
劇中、改編後世界の長門は終始「萌える」キャラとして、京アニクオリティで徹底的に描かれていた。その点に関しては長門ファンには十分満足ゆくものだっただろう。
だが、原作未読・TVシリーズ視聴済みの私は萌えなかった。これはやはり「見せ方」の問題であると考える。
「消失」は刊行中のシリーズの中盤にあたるエピソードである。「その後もシリーズは続いている」ということは、本作で描かれる世界はすべて否定されるべきものであり、画面の中でどれだけ長門が魅力的に描かれようと、それらはすべて消滅するということが運命づけられている。そのため、私は改編後の長門に感情移入できないのだ。
まぁ、さすがにここまで深読みするアニオタ向けに作る必要は無いにせよ、もっと観る側に「ミスリードさせる」要素を持たせても良かったはずだ。
「一夜にして世界が変わってしまった」なんていう現象を「ハルヒの仕業だ!」とキョンが最初に考えるのは自然な思考の流れだが、そのためのブラフとして「前日にハルヒとケンカしている」とか、そういったシーンがあった方が良かったんじゃないかと思う。総監督はパンフのインタビューで「キョンに回帰を決意させるためにはハルヒが魅力的に描かれていなければならない(要約)」と語っていたけど、ラストシーンで「ハルヒからキョンに謝る」といった展開にすれば、キョンに「やっぱ戻ってきて良かった」と思わせるのに効果的だと思う。回帰を決意するための長ったるい独白シーンを削る分の埋め合わせとして十分機能してくれると思うんだが。
長門の扱いにしても、最初はそれまでの長門と遜色無いくらいクールに徹させておいて、照れ屋であることを露呈させてゆくという流れの方が、こちらの第一印象として「やっぱりハルヒの仕業で、長門しか頼れる者がいない!」と思わせることができるし、真犯人が分かったときの意外性を強調できるし、改編後長門を失うことの「惜しさ」もより引き立つと思う。
そういう自由度を失ったという意味でも、今回の「原作再現重視」という方針は残念でならない。


天下の京都アニメーションが手がけて「ファン向け」の域を出なかった作品となってしまったのが非常に惜しい「涼宮ハルヒの消失」。
本作によって京アニには、「“丁寧な作品づくり”という最大の売りを効果的に引き出せる手腕を持ったパートナー(SHAFTにとっての新房昭之のような)を早急に見つけ出さなければならない」という課題が明示されたと私は思う。
シリーズの展開にとっても京アニにとってもターニングポイントとなってほしい一作でした。